【新聞記事】占守島、旧日本軍兵士身元確認

本日付けの地元紙・福島民報の記事から。

日本がポツダム宣言を受け入れ敗戦が確定した8月15日から3日後に千島列島・占守島でソ連軍(当時)との間で起こった戦闘で戦死した兵士の遺骨の身元が特定されたという。ご本人とご家族の無念が晴れる事を思うと、胸が熱くなる。

私が占守島を知ったのは、恥ずかしながら2011年9月と最近になる。浅田次郎氏の「終わらざる夏」を読んでからだ。

1945年8月15日のポツダム宣言受託後に、劣悪な通信環境で“終戦情報”が届かず、ソ連(当時)が日ソ中立条約を破り侵攻してきたこともあり戦闘となり、多くの犠牲があったという“占守島の戦い”は驚きとともに、日本軍の人的物的限界を超えた戦線拡大の罪とソ連(当時)と米国の世界政治の多層性を知る事となった。

 *参考:

 ・外務省:北方領土「北方領土問題の経緯(領土問題の発生まで)」 

 ・内閣府 北方対策本部:北方領土問題「歴史

 ・厚生労働省:「戦没者の遺骨収集の推進に関する基本的な計画」(PDF)

 

 

今回の身元判明は昨夏に収集された43柱のうち一つということで、今後も無事に故郷や両親の元に帰る事にできるよう関係者の仕事に期待したいと思う。

(了)

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根本 潤(福島県郡山市)