震災五年、浜通り

東日本大震災から5年を迎え、浜通りの被災地を巡った。

 

今日の地元紙・福島民報は、未だ10万人を超える避難者の存在など、続く災禍の現状や復旧・復興の足取りなどを報じていた。


 

まず、小名浜港に向かった。2011年6月から津波がれきの処理作業で4tダンプを運転し、何度も通過した場所だ。

「小名浜魚市場」は場所を変え、綺麗に新築されていた。当時の面影はない。

 

“小名浜港 後背地”では、大手流通のイオンが進出し「イオンモール」を建設していた。「アクアマリンふくしま」や「ら・ら・ミュウ」との相乗効果で、この一帯が一大観光・商業エリアとなり得ると私は思っている。

 

北上し、私が津波がれき処理をした中之作漁港に行く。

いわき海星高校あたりから、防波堤の工事が延々と続き、中之作のコンクリートの壁に閉ざされつつあった。

 

さらに北上し豊間地区に行く。

嵩上げ工事が行われていた。確かに住み慣れた土地を離れるのは避けたいが、ここまでして人間が住み続けれる場所を作らなければならないほどなのかと、正直思ってしまった。

 

また、さらに北上し薄磯地区に向かう。

途中、塩屋崎灯台の北側にある「永遠のひばり像」に立ち寄り、浜を見る。新造された防波堤によって美しい浜辺の景観は失われてしまった。

 

被災した豊間中学校は撤去され、広大な面積の嵩上げ工事が、ここでも進められていた。


ここからいわき駅に行き、常磐線の列車に乗り久之浜に行く。

嵩上げ工事も進み、宅地整備が行われていた。

震災から5年。町は大きく変わった。

 

 

 

14:21、地震発生の時刻が近づくと、多くの方々が防波堤の方に集まっていった。慰霊祭が行われるのだろう。

 

 

私は、久之浜駅に戻り、広野町に向かった。

広野駅周辺を見て回り、その途中14時46分を迎え、坂の途上でサイレンの音に合わせて黙とうした。

 

その後、広野駅から列車に乗り、帰路に就いた。

 

 

現場を訪れる事で、感じられる事がある。

震災から5年。確かに土木建築工事は進んでいるが、その構造物を活かし生活が営まれてこそ、その効果が発揮される。今後も、被災地を訪れ、多くを感じてゆきたい。

(了)


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根本 潤(福島県郡山市)