本日付け地元紙・福島民報の一面等の特集記事から。
奥州街道の宿場町であった“郡山”を30万都市へと導いた「安積疎水」が「未来を拓いた『一本の水路』」(共同申請:郡山市・猪苗代町)として県内初の日本遺産に登録された。嬉しいニュースであり、当たり前にある「安積疎水」の歴史や物語をもっと学ばなければならいと思う契機となった。
登録は「会津の三十三観音めぐり」と同時で、福島民報の一面で大きく取り上げられていた。
福島民報では一面の他、6面と第一・第二社会面を割いて、両地の様子や国内の他登録地と先行登録地についても報じていた。
「安積疎水」は維新三傑の一人、初代内務卿・大久保利通の主導で構想が進められ、大久保亡き後、国営農業水利事業第1号として明治12年に「猪苗代湖疏水」事業が開始され『約3年の年月を費やし、延べ85万人の労働力と、総経費40万7千円(現在の貨幣価値に換算すると約400~500億円)を投じ、明治15年8月、幹線水路の延長52km、分水路78kmに及ぶ安積疏水が完成し、約3,000haの水田が新たに造成され』(農水省東北農政局安積疏水特別監視支所)た。
その後、「新安積土地改良」事業(昭和16~41年)、「安積疏水土地改良」事業(昭和45~57年)を経て、現在、郡山市など3市1町1村にまたがる水田約9,570haの農地を潤している。
明治初期の旧士族に仕事と土地、そしてコメをもたらし、郡山市のみならず、福島県のバランスの良い発展をもたらした「安積疎水」が多く方に注目され、郡山に訪れる観光客が増えて欲しい。
(了)
*参考:
・郡山観光協会:日本遺産「未来を拓いた『一本の水路』」
・安積疎水土地改良区:歴史
・農林水産省 東北農政局 安積疏水特別監視支所:「安積疎水の歴史」
・公益社団法人 農林水産・食品産業技術振興協会:「国営農業水利事業第1号、「安積疎水あさかそすい」をつくった人びと」
根本 潤(福島県郡山市)
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